JFBネットワーク協同組合 事務局次長 二文字屋 修
戴帽式とは。
たとえば進路に悩む高校生が、どこの大学がいいか、と考えることと、福祉専門学校か看護学校か、と考えることとはずいぶんちがう。後者は明らかにその後の仕事が決定される、という職業選択でもあるわけだ。
看護学校に入り、1年生前半は基礎看護学、疾病論、解剖学などを勉強する。そして夏休み明けにテストがあり、後期から病院実習へと進む。その直前に「戴帽式」に臨む。4月から白衣を制服としていた学生が、ナースキャップをかぶることで、われわれ素人目にはいっぱしの看護婦さんに見えてくる。病院に入っても患者さんから「看護婦さん」と呼ばれるにちがいない。
ナースキャップとは、改めて看護婦としての自覚を促すものなのである。そして戴帽式とは、人の命の一端を預かる看護職として自覚させるセレモニーであり、看護生を医療の現場職としての仲間に入れた、という意思表示でもある。
そもそも戴帽式は、看護という職を病院のシステムの中の重要な位置に押し上げたナイチンゲールを模範としている。看護学校にはよくナイチンゲールの像が置いてあることからもそれは知られる。そして戴帽式ではよく「ナイチンゲール誓詞」というものを自分の誓いの言葉とする。
「われは、ここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わん」で始まり、「われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん」で終わる。そして灯りを落とした会場で、ロウソクに火をともし、BGMには「オンブラマイフ」や「アベマリア」がピアノで流れながら式は進む。
おわかりのように、これはキリスト教の修道女の献身式を真似ているのである。なぜなら、ナイチンゲールをはじめ、当時の看護という職はそのような意味合いが濃かったからである。(ヨーロッパにおける神父・牧師、法律家、医師についての宗教社会的意味については村上陽一郎氏に詳しい論考がある)
日本では、そのカタチを取り入れているので、「神に誓わん」という言葉がふさわしくないと、「ナイチンゲール誓詞」を抜きにした戴帽式を行っている学校もある。
以前、ある学校の戴帽式で祝辞を述べた医師会長が、「今、ナースキャップをかぶったあなたのご子息は、医療にその身を捧げられました。もう、あなただけのお子さんではないのです。病いにある人の身内でもあるのです。その覚悟はありますか。どうですか。」と、会場の人々に問われました。一瞬の沈黙の後に、最後尾の父兄席から、割れんばかりの大拍手が沸きあがったことはいうまでもありません。
ことし、ある学校の戴帽式で、実習先の公立病院の看護婦さんが祝辞を述べました。
「私たちの病院ではナースキャップをかぶらない看護婦さんが増えてきました。仕事してるといちいちキャップを気にするのが煩わしいし、不便なのです。通勤電車の中で他人の髪が顔に触れると気持ち悪いですよね、同じように患者さんも髪の毛がかかると嫌な思いをされるでしょうから、キャップをかぶりたくない人はきちんと髪を束ねて実習に来るようしてください。もともとキャップは髪の毛をまとめる為にあるのでしょうから、かぶらないならそれなりの気遣いがほしいものです。」
私の前の列にいたある父兄は式の間中、隣の人と私語をやめませんでした。もちろん、祝辞の間も。
新たな門出を祝す言葉が、落ち込んでいるときの救いのキッカケになる、こともあるとはおもうのですが・・・。
載帽式の時は嬉しいという気持ちは少なかったように思います。
逆にこれから実習や授業で本格的に専門分野が始まり、いくつの山を越えれば卒業できるのかなぁ。という不安と、これからは甘えは許されないというか、しっかりやらないと、という気持ちが大きかったです。
載帽式の前に学年全員で、載帽式で誓う言葉を決めるのに延々と議論した記憶があります。80人ちかい学生が、あーだ,こーだとひとつひとつの言葉を決めていきました。気の遠くなる作業!載帽式について調べてくる、という課題もあったような…
そういえば看護学校では議論させられる事が多かった気がします。これが病棟の活発すぎる(怖すぎる?)カンファレンスに結びついているんでしょうか…。
わたしはまだまだ半人前で、載帽式について語るまでには到っていないようです。看護服きてキャップつけるという形のものよりも、看護するという気持ちが大切かな?と思います。
最近思うことは、料理はこころや!(神田川風にね)でなくて、「看護はこころや!」です。
続・戴帽式とは… 努くん(予備校講師)![]()
12月8日。某国立看護学校で第7回生の戴帽式があった。昨年度教えた生徒一人、戴帽式を迎える。
毎年何校か教え子の戴帽式に参加させていただくが、戴帽式とは二文字屋氏の提言にもある通り、形だけの行事ではない。そんな事は言うまででもない。
この看護学校は、私にとって感慨深い学校の一つである。3年前、当時指導していた看護婦志望の生徒の受験校を決めかねていたある日のこと、たまたま草野球をしていた私の目に入ったのがこの「学校」であり「医療センター」であった。このグランドは今は既になくなって、最近開通したモノレールの駅になっている、と言ってしまえばどこだかわかっちゃうか…(笑)新設4年目、彼女が入学すれば5期生ということになる。比較的新しい学校ではあるけれども、某災害医療センターの付属で設備や実習病院も充実しており、レベル的にも…。見学してきた本人も気に入って「滑り止め」のつもりで受験し、合格し、入学した。言わば、私の看護系指導の原点とも言えるきっかけともなった学校である。その後、彼女の戴帽式に出席し、付属の医療センターで「看護体験」に参加し、去年ベトナム留学生を受験させて失敗した…。
彼女の戴帽式に参加したことは、私の指導経験の中でも忘れられない思い出の一つである。看護系受験と言うのは学力さえあれば合格できるというわけではない。適性、将来的なビジョン、情熱、健康状態なども含めて様々な観点から「テスト」される。また、指導する立場から言わせていただければ、これほど難しく、逆に情熱を持って指導しなければならないものはない。「なんで看護婦なのか」「なぜ医療なのか」常に考え、「だから私は看護の道に進むんだ」と言えるように指導しなければならないのである。これは本来は自分で考え、実践していくものであるのだけれど…。また、看護医療系志望者のほとんどが、何かしらの「深い思い」を胸に抱いてこの道を目指している。家庭のこと、経済的なこと、人間関係、知れば知るほど「だから看護なのか…」と納得させられるのだけれど、残念ながら私たちにはどうしてあげることも出来ない「深い思い」なのである。そんないくつものハードルを自分の力で乗り越え、たどり着いた「戴帽式」だからこそ、感動し、新たな情熱と決意を持って看護の道の出発点と言う認識を持ってその場に立つことが出来るのだと思う。
式は戴帽の儀に始まり、聖火の継承、ナイチンゲールの看護婦宣詞の唱和と続く。見ているものにとっても、感覚的な感動ではない。こころから祝福し、前途への期待を胸に参加する。最後に上級生の代表が先輩の立場からお祝いの言葉を述べ、それに答える形で戴帽生代表が「誓いの詞」を述べる。この上級生の言葉が印象深い。
「戴帽式が終わると、実習が始まり実際に患者さんと接する機会が多くなる。いろいろな患者さんがいて、失敗の連続である。なんでこんな事を言われなきゃならないのかと悲しくなることもある。しかし、躓いたり弱気になった時に私がいつも思い出すのは戴帽式の日の感動と決意である。ぜひ今日の感動を忘れずに頑張って欲しい」
月並みな言葉にも聞こえるが、実体験を伴っているだけに説得力があった。そう、戴帽式は看護婦の卵にナースキャップを渡す事だけが目的ではないのである。2年生も3年生も、そして看護教育に携わる教官たちも、現場の婦長やナースたちも「あの日の感動と決意を思い起こし、今一度決意を新たにする式」なのである。だからこそ、毎年5月の「看護の日」に戴帽式を行う学校もあると聞く。「戴帽式不要論」なんて、チャンチャラおかしい、と私は考える。
さて、今年の戴帽式である。上級生は実習が終わって数日、今年は恐らく相当難関になるであろう国家試験も近い。聖火継承が始まると照明が落される。居眠りには最高の条件である。中には来賓の挨拶の時に立ちあがらない学生もいた。何かが違う。2年前のあの緊張と感動がないのである。式は列席者の意志とは関係なく進む。保護者席の父兄もおしゃべりに余念がない。上級生のお祝いの言葉。私には「実習は大変である。みなさんも覚悟してください」としか聞こえなかった。
プログラムの最後は「戴帽生誓いの詞」である。代表の学生はこの半年間の基礎教育での、初体験の緊張と感動を語り、後半、涙ながらに決意を語った。ちょっと救われたような気がした。本当に、今日の感動と決意を忘れずに頑張って欲しいと思う。
式典終了後、3年生となった「彼女」に会った。「今日はみんなマナーが悪かったですね。隣りに座ってた友達と二人でイライラしちゃいましたよ」「本当だよ!お前が寝てたらひっぱたいてやろうと思ってた(笑)」「私が寝るわけないじゃないですか!でも、こんなんだから、年々レベルが下がっているとか言われちゃうんですよねぇ」うんうん。解っている学生もいるのである。
別れ際「お蔭様で就職が決まりました。横浜の病院です」「念願の一人暮らし?」「そうなんですよ(笑)」「最後のツメを誤るなよ。国家試験まで気を抜くなよ!」「はい」何時の間にか成長した、大人の笑顔だった。
「形式的な戴帽式なんていらない」とぬかす輩も、戴帽式で堂々と寝ている看護学生もほっておけば良い。あの日の感動と決意」を忘れた看護婦など、そのうちに淘汰される。もう、都市部では看護婦過剰時代が始まっているのである。
今年も受験シーズンが始まった。一人でも心有る医療系学生を送り出すべく、最後の追い込みに全力を傾けようと思う。
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